『エヴァンゲリオン』を、その見事なキャラクターデザインや、様々にアイデアを凝らされた迫力ある、使徒との戦闘シーンを楽しむ。
そうやって観るだけでも充分に面白いと感じました。
また、聖書をベースとして構築された物語の解読を楽しむこともできますよね。
更に、思春期の『自我形成』であったり『自我の構築』とは?
といったテーマも面白いですね。
そして、その『自我の構築』が困難な原因も語られていますね。
それは『アダルトチルドレン』の問題ともリンクしていますね。
碇シンジ君の「でも自分は嫌い!!」といった台詞によって
『自己同一視』が困難な状態である人の気持を率直に吐かせてますね。
最終話で、碇シンジ君は「だけど、ほかの自分は無い。僕はこの自分で生きて行きたい」とも言っている。
この瞬間に、実に困難だった碇シンジ君の『自己同一視』は成功しましたね。
だから、メインのキャラクター達に囲まれて「おめでとう」と拍手を浴びる。
正直なところ、理想論でもあるなと感じました。
『自我』とは、自分の心だけの問題とちがいますもんね。
『自我』とは、自分を取り巻く『社会』との絡みも含み、形成されるものだから。
つまり、生まれる前から「青信号は進め」なわけですね。
生まれてみたら「人は右側通行」なわけです。
人が生きて行く上で、自分と、そうした『社会』との関わりをも含むのは必然ですよね。
つまり、理想的な『自我』を語るとき、その問題は『自分』だけでは収まらないわけです。
健全な『社会』がなければ『健全な自我の成立』は有り得ません。
セットなんです。
そういった意味で、昨今『健全な自我の形成』は実に可能性が低いし、本当に困難なわけです。
『社会』のことと切り離して『自分』のことだけとらえて考えてみても『自我形成』はとてもムツカシイ側面があると感じます。
産まれてすぐに関わるのは母親。
そこそこに、すこやかなお母さんであれば、充分やと思います。
でも、本当の愛情を知らない、ただ漫然とセックスをして「子を出産した」というだけのお母さんもいます。
極端な場合、子を捨ててしまうことがあります。
古くは『コインロッカーベイビー』
今も「赤ちゃんを生ゴミで捨てた」なんて事件が起きてます。
あるいは、日々虐待をする母親もいる。
挙げ句に、殺してしまう場合もある。
「子とどう接して良いのか解らない」といった母親もいます。
あるいは「子供が嫌い」といった母親もいます。
程度問題はありますけど、
無垢で無力な赤ちゃんの母親が、そうした母親だった場合、
健全な心の育成は実に困難なのはあたりまえのことですよね。
「自分はこの世(母親)に求められていない」
「自分はこの世(母親)に歓迎されていない」
「自分はこの世(母親)に嫌われている」
「自分にとってこの世(母親)は恐ろしい所だ」
「自分は世の中(母親)に捨てられる」
「自分は世の中(母親)によってひどい目に遭わされる」
「自分はこの世(母親)で愛されない」
「自分がこの世(母親)に好かれることは無い」
心の根幹に、こういった『間違った信念』を持ってしまうことになります。(これは『トラウマ』になる場合もあります)
そして、成長した時に「自分には、生きる価値が無い」
「自分はここに居てはいけない(いたたまれない)」
「本当の自分を他者が知れば、自分は嫌われてしまう」
「死んでしまったほうがましだ」
こういった、信念であり気持を持つようになります。
碇シンジ君はその典型例として描かれていたように感じます。
「高い成果を上げない自分はダメだ」
だから、彼は、エヴァ初号機に乗って、使徒を次々と撃破するという、高い成果を上げ続けますよね。
ボロボロになっても、そうしていなければ、存在価値を見失ってしまうから。
最終話で『母親との別れ』といったテロップが出ましたが、
そうできればよいのですが、
自分の経験からだと、そうたやすくできるものではないと感じます。
実際には、得られなかった愛情の枯渇を埋めて行く作業は、実に長い年月を要します。
また、それが『トラウマ』として、無意識の中に残ります。
『トラウマ』は、深い記憶です。
生涯消えることはありません。
ですから、そういった「『心の枯渇』であり『トラウマ』を持つ自分が本当の自分であり、ほかの自分は無い」と碇シンジ君に言わせるわけですね。
すなわち
「だけど、ほかの自分は無い。僕はこの自分で生きて行きたい」と。
これが『人類補完計画』が成功した瞬間なのでしょうね。
でも
「だけど、ほかの自分は無い。僕はこの自分で生きて行きたい」
と思えるようになるまでの道のりは、実に険しいものがあると感じます。
『人類補完計画』とは、平たく言えば、心の問題で、生きていることが辛い人々を救うプラン、ということになると思いました。
『エヴァンゲリオン』を観て、当時もそうでしたが
他者にも打ち明けられない悩み。
打ち明けてもどうにもならないような心の苦しみ。
そういったことがテーマとして取り上げられただけでも、実に意欲的な作品だと感じます。
更に『エヴァンゲリオン』という共通言語を持つことで、そうした話題を語り合う機会が持てたとすれば、画期的だと思います。
実はそれこそが『人類補完計画』なのかもしれませんね。
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